私のブログでジャパンバッシングや日本悲観論が多いことはリピーターの皆さんは良くご存知だと思います。
もしかしたら、少なくない人に私は日本が嫌いなのだろうと思われているかも知れない。
嫌いなら無視します。
マザーテレサの高尚な言葉を引用させて頂くと、
「愛の反対は憎しみではなく無関心なのです。」
勿論憎しみすらないし、愛国心の欠片程度は持っているつもりです。
思ったことをはっきり言うとどうしてもそうなるだけです。
ジャパンバッシングはブログを書き始めた当初から書いている気がしますが、日本悲観論を書くことが多くなったのは年末から年始辺りからではないかと思います。
現在は様々なところで日本悲観論が盛んに言われるようになった気がします。
少なくない人達が今回の大不況で日本の未来に対する見方を変えた(というよりも強めた)ようです。
様々な状況が私には「陽はまた沈む」と告げているように思えます。
悲観論が席巻すれば悲観に過剰に悲観する国民性なので楽観をほざいている方が良いのかも知れませんが、進化に取り残されたガラパゴス諸島に生息するイグアナや鍋の中のゆでガエルと同様に全く気付かない人達も沢山居るわけです。
過剰な悲観を述べる方もいますが(でも正しいかも?)、私は「翳(かげ)る未来」程度が良いのではないかと思います。
日本に太陽の輝く未来を今から作るのは難しいが、曇天の空なら続けられるかも知れない。下手をすれば、大雨洪水注意報・・。
投資に話を移しますが、愛国心の強い人と海外のことがよくわからない人ほど日本株に傾斜しているように思います。
(有名な○○ファンドの○○さんとか!?日本株だけの長期投資で資産形成って本気ですか?)
ワールドカップでどこが優勝するかと聞かれて「ニッポン!」と答える熱心なサッカーファンも、じゃあ金を賭けろと言われれば「ブラジル!」に翻るかも知れない!?
サッカーで日本に賭けるなら大博打の大投機です!
「好き」「愛国心」「応援」で日本株中心の運用をするなんて馬鹿げたことだと思います。(竹田和平さんほどの資産家なら良いですけど)
応援なら寄付のつもりか、損しても良いと思える範囲でやるべきでしょう。
海外のことはよくわからないなら、わかれば良いだけです。(!?)
逆に海外のことがわかってくれば、日本が如何に特殊で何ら期待できないことがわかってきます。
年功序列の日本では社会のリーダー層ほど昭和の夢のような成功体験を味わい、しがみついているので、妙に日本・日本人が優秀であると勘違いしていたり(優秀でないとは言ってませんよ)、過去成功したモデルの現状維持が今でも通用すると思い込む傾向があります。
(古今東西、繁栄した国が衰退していく要因の1つです。)
私の考えはこうです。
愛国心はあっても、権力者の無能や多数派の選択で不作為により衰退を招くなら自分の意思や考えに反しているので、この国や反対意見の人達と心中するのは御免です。
日本が借金を返せないような事態を招くなら、徹底して円を売ってそのネタを利用すれば良いのです!
因果応報でそんな選択をした人は責任持って国と心中して下さいね。(選択しない=現状維持を選択することも含めて)
多数決という安っぽい民主主義が間違った判断をするなら、異なる判断をする者はその犠牲になる必要はないし、罪の意識も感じる必要はないと思います。
(確実に言えることは、高齢者のワガママに票欲しさの高齢政治家が迎合して高齢者の残り少ない現世利益中心に物事が決まっていきます!)
日本の「翳る未来」の中で楽しく生きよう!
私は私なりにこれからもブログで日本に対して厳しく発言します。
お楽しみに!?
[←参考になりましたら一押し。m(._.)m]
コメント
現況、政府の負債=金融機関の資産、金融機関の負債=国民の資産なので、政府が借金を返せないということは、国民の資産が無価値になるということです。
そうなれば、いくら円を売ろうが、日本に居る限り金融資産は無価値化します。国民の実物資産と呼ばれるものも税という点で負債化するでしょう。
つまり、政府がデフォルトすれば、日本との関わりがある限り、被害から逃れられないということです。
でも、政府のデフォルトは絶対にありません。チキンな政府や国会議員、国民にはそれができないからです。
あるのは無限の国債発行と国内での国債引き取り、金融機関や企業の資産の増加、そして、海外へのバブルの輸出です。結果としてある程度の円安になりますが、円安は政府の債務の増大によるものではなく、海外投資の増大によるものです。つまり、円キャリーの再来です。
ただ、経済にはサイクルというものがありますし、国民国家というシステムがいつまで続くか解りませんから、アンテナは張り巡らせておいた方がいいですし、どのような情報や意見も一応頭の中に留めておいた方がいいでしょうね。その点で、当該ブログの記事は一面的だとは思います。個人的には「若いね~、オレにもそんなこと考えてた時があったな~。」という印象。
相変わらずすばらしい内容ですね。
今の日本はじわじわと内向きになっている感が強く非常にやばい感じです(やばい理由は過去の歴史をみれば歴然ですのであえて申しませんが)。
年寄りたちは現在の比較的恵まれた環境は自分たちの功績だといわんばかりにふんぞり返って既得権を主張し、若者たちはそのあおりを食らって無気力になっている感じです。
今回のような危機があると実質日本を牛耳っている老人たちはすべてを外国のせいにして時計の針をもどそうと内向きのバイアスをかけることを正当化する風潮もみられます。
今の若者には国家など差し置いてでも自分を伸ばそう(守ろう)とする気持ちがだいじではないでしょうか。
今後ゆっくりと衰退していくと思われる日本で若者のあきらめ、内向きの気持ちがさらに強まると本人たちにとって一番不幸でありそれが腐った国家権力者をさらに増長させることになるのは明らかですから・・。
興味深い一説がありましたので以下に引用致しました。
「手近なもの以外を獲得する能力や勇気のないものはすでに与えられた入手可能な範囲のことを最高価値のものとみなすことであきらめ、それ以外のものを無価値と自らに強弁することで心の平安を得る。」
ある童話の主題として有名ですが近いうちにこの局面が見られるかもしれませんね(笑)
こんにちわ。
休憩?を利用して簡潔に。
確かに国債≒国民の貯蓄!?
ですが、彼の国の国債と
我が国の国債は、保有者という
観点からみて、同列には扱えません。
《釈迦にですか(汗)》
国内の株式の過熱ぶりは、歴史は
繰り返す、J-CDSの数値変動を見ても
明らか?まあ、戸板を外されないよう
のとの太助さんに100豪$です。
otto_ottoさん、
>その点で、当該ブログの記事は一面的だとは思います。
これは私のブログの本日の記事のことを指していますか?
そうだとすれば、私のコメントも(トーンも)違った内容になりますが・・。
間違いと思われる点だけ指摘させて頂きます。
>政府のデフォルトは絶対にありません。
無限の国債発行が可能ということは、無限に引き受ける相手が必要です。
無限に発行される国債(=無価値)を受け入れる愚かな人は国外にも国内にも存在しません。
国民の資産にも限りがあるならファイナンスされません。
机上の算数の世界では無限大という解が存在しても、現実の世界には絶対に存在しないと考えます。
無限の国債発行の先にあるものはデフォルト以外の何者でもないと思います。
従って、政府のデフォルトは絶対にないとは誰も絶対に言えないと考えます。
尚、私の記事はデフォルトの不安を徒に煽るものでもなければ、その可否が記事の趣旨に影響を与えるものでもないことは付け加えさせて頂きます。
オージーさん、
相変わらず素晴らしく勉強になるコメントありがとうございます。
納得です。
引用された一説も素晴らしいですね。
私の心に留めて置きたいと思います。
bbctvさん、
いつもユーモアあるコメントありがとうございます。(!?)
決して国内株式市場の短期的な値動きの話ではないのですが、100豪$の外貨送金楽しみに待っています。
100ジンバブエ$なら送金いただかなくても結構ですけど。(笑)
> これは私のブログの本日の記事のことを指していますか?
はい。そうです。「本日」の記事です。
> 無限に引き受ける相手
国内に少なくとも一つはありますね。
それに、日本の場合、債権者の方が立場が弱いんですよね。債権者の国民は「デフォルトで全く返って来ないよりは…」と、何らかの代案をあっさり受け入れてしまう。
絶対にです。
そういう、大ナタを触れない人達の集合体が必ずするのが「先延ばし」。つまり、「先延ばし」という代案で、永遠に債務額・債権額(ここ重要)が国内の閉じた中で「なんとなく」膨らんでいくのです。
本日(27日)の記事にて回答させて頂きました。御参照下さい。