3.11から1年。無謀にも沖に向かい津波を逃れた漁師に学ぶべきこと!

3.11から1年が経ちました。
 
テレビでは津波の映像をこれでもかと流していましたが、直視するのは辛くても忘れてはいけないし、ちんけな人間のちんけな頭で考えて「絶対安全」などとほざき津波以上かも知れない「危険な人災」を放射しないためにも、直視して自然に対して謙虚になる機会は必要なのかも知れませんね。
 
私が3.11に関連して教訓にすべきだと思ったことで、ブログに書くのは時期的に不謹慎だと思い慎んでいたことがあるのですが、1年以上が経過したので忘れないためにも書いておきます。
 
それでも不謹慎と感じる人がいるかも知れませんが、それならきっと10年後に書いても不謹慎なので、そういう方は読まないで下さいとしか言いようがありません。
(読まなきゃ判断できないって、その通り!)
 
3月11日の大地震の後に、大津波が来そうだと感じた港町の漁師さんは、高台に避難するのではなく港に急ぎ船のロープをなたで切って、エンジン全開で沖に向かい間一髪で津波を逃れたそうです。
港の他の船は全滅で、ロープをいつも通り手で外していたら逃れられなかっただろうと振り返っています。
 


一方で、お役所が指定した高台の避難所に余裕を持って逃れたのに津波が到達してしまい、結果として避難にはならなかったケースもある・・。
 
何が言いたいかって言うと、単純化すれば不謹慎になりかねないのですが・・。
 
最初に断っておきますが、これは天災であり、私が同じ状況に遭遇したら役所が安全だと言っている近場の避難所に向かうこと以上の判断が出来る訳がなく、逃れることはできなかったでしょう。
 
でも、災害時にはこうしなさいと役所が決めているルールに従って避難所で皆で肩寄せ合っても助からない場合もあるし、誰だって常識的に津波から反対方向の高台に逃れようと考えるところを一見無謀にも見える海に向かって沖へ逃れる行動を取った漁師が助かったことも現実に起こったことであり、厳然たる事実です。
 
海をよく知り自分のスキルも踏まえた猟師だから、(ちょっと例えは適切でないが)「敵を知り己を知れば百戦危うからず」で唯我独尊の行動を取れたのかも知れないが、まさに自分の命が危機にさらされた時に自己責任で他人とは正反対の行動を瞬時に取って津波から逃れたことに、(不謹慎かも知れないことは重々承知で)「天は自ら助くる者を助く」の体現者だと感心します。
 
天災は別にして、日本では決められたルールを律儀に守ることや真面目であることは良いこととされ、自分では考えない判断しないマジメな人が増えすぎたのかも知れません。
 
犯罪行為の粉飾決算も厭わず、やらせメールを送れと指示されれば、真面目に(?)行う人が評価されるムラ社会も多い。
(私はとてもマジメに生きてきましたって、何が誉められるの!?)
 
しかし、社会では(他人から)それが都合よく評価されても、人間の本来の生き方として評価される(正しい)とは限らないし、ルール無視で無鉄砲でも自己責任で自分の行動を取る人の方が人間の本来の在り方として正しいと評価されるのかも知れない!?
 
投資家として、100人中99人が今は山へ向かうべきだと主張しても、たった1人で賛同者はいなくても俺は自己責任で海へ向かうと勇気を持って行動するメンタリティをこの猟師さんに学びたい。
 
他人に迷惑を掛けずに、その結果は全て自分が引き受けるのであれば、マジメな常識やルールより自分の判断が優位であり、自分の人生は自己責任で判断し行動すべきだ!
 
不謹慎かも知れませんが、これは3.11から私が学んだ(というか以前より強固になった)教訓の1つです。
 
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コメント

  1. とめきち より:

    船を守るため沖に出るのは、別に無謀ではなく漁師のセオリーですよ。

  2. 太助 より:

    漁の最中ならセオリーかも知れませんが、陸に上がっているのにわざわざ船を出すのがセオリーではないのでは?
    外出中に地震があって津波が来ると気づいたら、家に戻って金庫や宝石や貴金属を大事に抱えてから避難所に向かうのがセオリーではないですよね。それと同じでは?

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