https://www.rakuten-sec.co.jp/web/market/opinion/fund/yamazaki/0278.html
氏の考えを深く詳しく存じ上げずにインデックス「教祖」の一人と認識している立場からすれば自己否定とも変節とも受け取れますが、政治用語で言えば「極右」が「右」に、「過激派」が「急進派」になるような、基本は変わらずとも主張と信条は若干マイルドにしたイメージチェンジでしょうか!?
私は以前に独立系投信を宗教にインデックスをユニクロに例えた山崎氏に批判的なヘントリーを書きました。(↓)
「インデックスファンドと独立系投信のビジネスモデルは「ユニクロ」と「宗教」の違いか!?」
http://financial-free-fx.seesaa.net/article/412597699.html
今回も運用会社の啓蒙活動が過剰期待を煽ると「独立投信」を批判しているような箇所もあるが、「市場の効率性」への妄信にも批判を向けているように間違いなくインデックス投資を含んだ宗教的な「長期投資」を戒めているように思います。
今まで唱えていた教義や信仰に詳しくない部外者が読むと、バイ&ホールドで長期にほったらかせばいいと主張されていた方の変節ではないのかとも思えますが、信徒の中にも同様に感じる人がいてもおかしくないようにも思えます。
酷いケースになると、持ち上げていた信徒が今度は裏切り者ユダのレッテルを貼りたがりますが、それが排他的な狂信的信徒というものです!?
変節とも思えるような言説は、本当に自分の考えを微修正した結果なのかも知れないし、自分も先頭で扇動した「長期投資教」の狂信ぶりに(つまり自分がその教祖に祭り上げられる状況にも!?)怖さを感じ歯止めを掛ける必要を感じたのかも知れないし、全く別の理由かも知れません。
しかしながら、「ユニクロ」と自賛していた自らの長期投資インデックス派を含めて「宗教」と呼んだことに山崎氏の進歩と成長を感じます!?(なんて上から目線やねん?)
正しいか間違いかは置いておいて信念が自分の中にあればいいのですが、山崎氏がこうアドバイスしたから、マルキール氏がこう主張したからと信念を他人に依存している人が変節に憤りを感じるのだと思います。
インデックスであれ、独立系投信であれ、「長期投資」を「信じる」のは全て自己責任であり、その結果には誰も責任は取ってくれないし、文句を言う相手は他人ではなく自分です。
そういう意味では、30年後に望まない結果が出てからでは取り返しがつかない「長期投資教」への入信が一番高いハードルだと思います。
(デイトレーダーを1週間で足を洗ってインデックス長期投資に宗旨替えはできても、インデックス派が30年後の老後に資産を減らした後でデイトレーダーへ転身は出来ないでしょう!?)
だからこそ自分に言い聞かせるように、30年間信念と方針がぶれないように、排他的で狂信的な信仰にならざるを得ないというパラドックスを感じます。
故に宗派内の変節にも厳しいという一面も見せるのでしょうが、それが宗教的という自覚はあまりないのでしょう。
投資や資産運用の手段として「長期投資」「独立投信」「インデックス」に自分が納得しているなら、教祖的立場の人が手のひらを返そうがユダ呼ばわりする必要もなく揺るがないと思います。
何故なら、これは「宗教」ではなく自己責任の「投資」「資産運用」なのだから。

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