橋下と石原が袖にした40年は「失われる40年」を回避し日本維新に繋がるか!?(1)

言いたい放題の巻!
 
ジャスト80歳の石原氏とアラウンド40歳の橋下氏(以下敬称略)が都市の差、もとい40歳の年の差を越えて結ばれて変質した日本維新の会。
 
日本の二大都市のリーダーズというタッグよりも、やはり年の差40歳のラブラブカップルが永田町に殴り込みをかけるというなんとも異質な最強タッグぶりがイロイロな意味で目を引きます。
(晩年の馬場さんと若き三沢のタッグと言っておきましょう!?)
 
私見を言えば、橋下が石原を党首に担ぎ上げたことには首を捻らざるを得ない。
良い方(でもないけど)に解釈して邪推すれば、理想を言っても票を獲得して政権を取らなければ政策は実現できないので、年寄りに甘いことを言わない維新の会が高齢者から票を取るには石原のような上から目線の後期高齢者リーダーが補えると考えた。
 
悪い方に解釈すれば、橋下の趣味・嗜好で小沢にも評価の言葉を述べていたように頭よりも高圧的に力技で動かせるリーダーが好みであり、特に石原は右寄りの考え方で自分とも通じる部分も多く、本当に純粋に党首として適任だと敬愛している!?
(正直言って、彼の人を見る目に関しては懐疑的です。)
 


石原はネット討論会で尖閣問題における都知事時代の行動に関して責任を問われた時に「責任取れと言われれば取るが、私は正しいことをした」という趣旨の発言をしました。
 
あまりにも考え方が稚拙である。
私は自分のブログでこのような表現を用いるのは決して好まないが、彼がかつて生放送のニュース番組で言ったコメントをそのまんま拝借するなら、そんなもんは「高校生のマスターベーション」に過ぎない。
 
仮に彼が総理になっても、外交では二手先さえも読めずにきっと自己満足の「正しいこと」しか出来ないと判断せざるを得ない。国益とは何の関係もなく、どうでもいいというより迷惑千万な「正しい行動」しか取れないかも知れない。
 
「支那になめられ米国のめかけに甘んじてきた日本を・・」という発言も内容が間違っているとは思わないが、総理の椅子を目指す立場の人間が使うべき表現や用語ではないし、彼が総理になったら口から出てくる際どい発言をコントロールする理性が備わっているとも、これから身に付く(!?)とも思わない。
 
政策に共感すべきことがどんなに多いとしても票を入れれば誰が総理になるのかという一点において、維新には入れられないという判断をする有権者が増えたことも事実でしょう。(勿論、石原だから維新に投じる人もいる訳で、票取り合戦における党首石原の有利不利は私にはわかりませんが・・。)
 
しかしながら、彼の憂国の気持ちは否定するものではないし、それが日本の「失われる(かもしれない)40年」を回避する原動力になりえるかも知れないとは思っています。
あれ、こんなに書くつもりではなかったが、長くなったので次回に続きます・・。
 
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